好きだから・楽しいからやるのではない。ゴールがあるからやるのである。
おはようございます、今日も書いていきます。
久々に8時間眠ってしまった。時間を無駄にした感が半端ないです。
寝ることは最近嫌いになりました。
一度寝ると上向いていた気分が元に戻るからです。
コーチングにより自分の芯は変わらないのですが、起きた後の「立ち上げ」に時間がとられる。
しかも寝ている間は何もできない。
ここのところ睡眠に関して非常に疑いを持っていて、7時間半寝るのが本当にいいのか?
睡眠は本当に体にいいのか?
などなど調べています。
お金を稼ぐことが嫌いという感情は、相変わらずです。
だから稼ぐことができなかったのですね。
でも、お金がないこの欠乏感には本当にイライラさせられます。
食べたいものが食べられない感じ。寝たいときに寝られない感じ。
イライラが頂点なのですよ。破壊衝動が出るぐらい。
もちろん、破壊活動はしませんが(笑)
この衝動を破壊や人を引きずりおろすことに使うのではなく、自分を引き上げることに使う。
最近、苫米地博士の言っていたことがまた理解できました。
何かの動画で、「楽しいからあなたは呼吸しているんですか?」「心臓は楽しいから動いてるの?」ということを言っていました。
まさに今そんな感じの心境。
お金を稼ぐのは自分にとって面倒だし、その営み(人の求めるものを見つけて、首を突っ込み、解決し、対価をもらう)もなんかマッチポンプ的・自作自演的で凄い嫌だ。
でもやるのです。
嫌いだけれど、やる。なぜならそれがゴールにとって必要だからです。
この感覚を今掴みかけている。
楽しいから、幸せだから、嬉しいから、気持ちいいからやるのではない。
自分にとって必要だからやる。
利他的であれ、とはよく言ったものですが、今の自分はその次元にいない。
利他的になる為には、まずは自己を満たさなければならない。
もしくは同時並行で進めて行かなければならない。
本当に、抽象度が下がったなぁ~(笑)
でも、これこそが「地に足をつける」ということではないのか。
今までは「世界を変える」「日本を変える」などなど思っていたが、その理想だけでは変わらないのではないか。
目の前の自分を変えることなしには変わらない。
物理世界を書き換えるためには、書き換えの為に抽象度を降ろさなければならない。
抽象度の高い世界で思考し、抽象度の低い世界に下ろす。
この抽象度の上げ下げをマスターすることも必要なのではないか。
単純作業を避けてはいないか?
「美しい世界」にハマるあまり、目の前の課題から逃げてなかったか?
物理世界は思った以上に残酷で、自由の利かない世界だ。
それは当たり前の話だ。90億人の地球人たちが描く世界を具現化したものなのだから、その最大公約数的なものになっているのだ。
その中で自分の思い通りに書き換えようとしたら、それなりのエネルギーと働きかけが要るのは当然だ。
お金というのは、必要だからこそ稼ぐことができる。
そして、お金を必要と思う為には、ある程度抽象度を下げなければならない。
お金の力が及ぶ世界に敢えてハマるということである。
かといって消費する側まで抽象度を下げてはならない。
それだとお金は増えるどころか減り続ける。
お金を稼ぐ側とは、「仕掛ける側」なのである。
仕掛ける側に回るには、ある程度の抽象度を必要とする。
しかし抽象度を上げすぎると(宇宙とか、数学とか、悟りとか…)、今度はお金に縛られないのでお金を稼ぐ必要性を感じなくなる、結果、お金を稼げなくなる。
お金を稼ぐ経験というのは是非一度してみたいので、その抽象度のいい塩梅を見つけなければならないし、それよりはるかに高い抽象度の世界も開拓していかなければならない。
私は理想(ゴール)を理想のままで終わらせたくない。
自分の理想を何かしらの形で物理空間に投影したい。
その為にはお金を稼ぐという事は必要なことなのである。
だから、嫌い・面倒などの感情は横に置いておき、お金を稼ぐ動作をする。
そのことに迷いはない。
ようやく自分の中の芯が見えてきているし、その芯を見たうえで、それでもやるという選択を自分の意志で取る。
こうした繰り返しが、今後の人生では生きてくるのではないか。
コーチング人生は始まったばかりである。
今日も相変わらずローテンション。
ツイッター消したためアクセスゼロだからもうどうでも良い。
自分がある程度お金を稼げるようになったとき、この時の記事を振り返って懐かしめばよいこと。
さて、今日もゴールを練って物理世界を変えていく行動をしますかね。