自分と繋がり自分の人生を生きるためのブログ

元母子共依存者・AC・愛着トラウマ持ちの「ただブログを書く人」の日記と考察。内面世界の話や気づいたこと・考えたことを書きます。

自分と繋がるための第一歩

こんにちは、皆様いかがお過ごしでしょうか。
ただブログを書く人です。

私は先日セラピーを受けてきました。

セラピストさんの誘導で、自分の圧倒的なトラウマと向き合いました。

・自分は思った以上に自分の本当の感情を感じないようにしていたこと、つらい思いを笑ったり茶化したりして誤魔化していたこと。
・自分が現在両親に抱いている怒りや憎しみはすり替えであり、その下には絶対的な悲しみと絶望が眠っていたこと。
・人に嫌われること、見捨てられることは自分にとって「死の恐怖・絶対的な恐怖」だったこと。その感覚は親との関係から来ていること。
・「自分はこの世にいる価値あるのだろうか」「生きている意味はあるんだろうか」という根源的な無価値観を持っていたこと。

これらに気づきました。

こういう圧倒的なトラウマは、プロの力を借りないと向き合えないと実感しました。

私自身、子供の頃から内側の自分と自己対話を重ねてきたつもりだったので、自分の内面を掘るのは得意だと思ってきました。

しかし、それは慢心でしたね。
根源的な恐怖、自分が絶対的に見たくないものというのは、脳が巧みに見せないようにしています。

何故なら、それを見て感じてしまうと、生き死にの問題になってくるからです。
それを感じてしまうと、絶望のあまり生きる気力がなくなって死んでしまうかもしれない。
自暴自棄になって発狂してなりふりかまわず周りに牙をむくかもしれない。

自分を崩さないように、脳はバランスを取ろうとして、そうした圧倒的な絶望感や恐怖と向き合わないように操作します。
他の感情にすり替えたり、面倒な気を起こさせて考えさせないようにしたり、お酒や関係のないことに逃がしたりするのです。

怒りや恐怖には圧倒的なパワーがあります。
自分一人で向き合おうとしても、脳がブロックしてすり替えたり、強烈な怒りや恐怖に引っ張られたりしてしまい、非常に難しいです。
私は今まで何度も一人で向き合ってきましたが、根源的な無価値観や自己否定には全く気づけませんでした。

人と一緒に向き合う場合も、こうした感情の扱いに慣れているセラピストやカウンセラーと一緒でなければなりません。
慣れていないセラピストやカウンセラーでは、こうした強い感情に一緒に飲まれてしまい、セラピーどころではなくなるからです。

根源的な無価値観や、見捨てられ不安、自己否定感、怒り・憎しみなどの感情、トラウマを絶対に甘く見てはいけません。
過去の親子関係で植え付けられた呪い・トラウマを、絶対に甘く見てはなりません。
こうしたトラウマは「感覚」として体が覚えています。
自分が最も苦手なものを想像してください(虫でも熊でも高い場所でもなんでもいいです)。

自動反応で飛びのいたり、体が硬直したり、足がすくんだりするはずです。
トラウマの反応というのはこれと似た感覚があります。
目の前の人は親ではないし、自分はもう子供ではないし、むしろこの人は自分を愛してくれている。
頭ではわかっていても、体がどうしても反応して、止められないのです。

私が人間関係を壊すときは、こうした自動反応がどんどん出て、関係に影が差し、頭では止めたいと思っているのについ人を怒らせる発言をしたり、恐怖で相手を遠ざけたりする反応をしてしまう。
人からそうしたことを指摘されると、見捨てられる恐怖のあまり思考停止するか、笑ってごまかそうとしてさらに相手を怒らせる。
体が自動反応をして人間関係を壊していくのをもがきながら見ているという感覚なのです。
そして、こうした「失敗」をしてしまう自分をますます嫌いになっていたのです。

脱線しました。こうしたトラウマはひとりで向き合い、改善できるとは思わない方がいいです。プロの手を頼った方がいいです。
確かにお金はかかりますし、私みたいに派遣の収入ではカツカツですけど、お金には代えられないなと、セラピーを受けて思いました。

セラピーを受けて、幼少の頃を思い出していくと、ある一つの事実を認めざるを得ませんでした。

それは、「私は両親から存在そのものを愛されていなかった」ということです。

表面上は愛されていました。
しかしそれは条件付きの愛でした。

すなわち、親の都合のいい子でいれば、存在することを許されるが、親を煩わせるような子だったら、邪魔だからいらない。
ということです。

そして親は無意識に、そうした態度を取り続けました。
母親は父親の愚痴を私に聞かせ続けましたし、父親は私に、「お母さんはお前が大好きだから、面倒よろしくな」という感じで、実際に言葉で言われたこともあります。
逆に、私が両親の望まない欲求や感情を出すと、無視していなくなったり、明確に拒絶したりしたのでした。

私は利用されていたのです。

そしてその利用を、私は30年以上にわたって受け入れて、親とは共依存状態で生きてきました。

私が両親からの利用を受け入れていたのは、そうすることによって、私自身の無価値観から目をそらすことができていたからです。

母親や父親の役に立っている、存在を認めてもらえているという感覚が私には心地よかったのです。
結局私も、両親から認めてもらいたかったのでした。両親から愛されたかったのです。
だから苦しくても、利用されている・軽く扱われていると無意識にわかっていても、両親から離れることができなかったのです。

セラピーを通して、深く抑圧していた感情の蓋が少し開きました。

私は、「自分が生きている意味なんてないんじゃないか」という根源的な自己否定感に直面することに、大きな大きな恐怖を抱いていました。
そして、「お前は生きているだけでいい、どんなお前でも愛してるよ」という無条件の愛を、親からもらいたかったのです。

だから、両親のもとにいて両親の鎹になることで、恐怖から目をそらしつつ、いつか両親は自分に無条件の愛を注いでくれると心の底で期待していたのでした。

でも、無条件の愛はもう両親からはもらえないんです。
70近い両親に「俺を愛せ!」と言ったところで、無理なんです。
もうもらえないんです。

それはそれは、深い悲しみと絶望でした。
セラピー中でしたが、子供の頃に戻ったような感覚で、つい泣いてしまいました。

この感情に気付いたところで、今回のセラピーは終わりました。

想像以上に深い悲しみ、恐怖、絶望を持って今まで生きてきたんだということがわかりました。
そして、その感覚と向き合わないように、自分の感覚や感情にアクセスする回路を切って生きてきました。
本当の感情を感じないように生きてきました。

友人から、「目が笑ってない」、「本当に楽しんでる?」、「無機質」とよく言われていましたが、その意味がわかった気がします。

次回から、少しずつ癒しのフェイズに入ります。

私は、これからの人生は自分と繋がって、自分の感覚を大切に生きていきたいと思っています。
その準備は整いました。これから過去を受け入れて、乗り越えようと思っています。

長文失礼しました。それではまた、お会いしましょう。では!